若気のいたり

宅録3人組ザ・ブレーメンのメンバーによる交換日記です。

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タケシ日記~ポニョは、ポニョポニョしていたか?~

宮崎駿最新作の『崖の上のポニョ』を見てきました。
以下、その感想を。
もちろんネタバレなのでまだ見ていない方は“絶対”見ない方が良いです。
だって宮崎作品の最新作だから。
まず、この映画の凄い点は、『誰も今まで見たことのない、何とも似ていない作品』であったという点でしょう。
全てが手描き、とか、技法の点は専門家の方々にお任せするとして、ストーリーの構成、登場人物の設定、言動、行動、全てが完璧に今までのどの作品(宮崎作品に限らず)とも違う。

それは何故か。
そもそも、映画を作る人(映画監督)っていうのはもうすでに大人で、いくら登場人物が子供だろうが動かしているのは大人であるというどうにもならない大前提があります。
今までの宮崎作品のいわゆる子供向きな作品とされる、『となりのトトロ』とか『魔女の宅急便』も、大人の世界に軸足を置いた子供(サツキ=家ではメイのお母さん役、とか、キキ=お金を稼がないと生きていけない、とか)がストーリーをひっぱる役割を持っていたため作品の秩序(整合性?大人が見て納得できるってことかもしれません)が保たれていました。
そして、作品に出てくる大人は大人の役割をしていました。(サツキとメイのお父さん、おばあちゃん、いっしょにメイちゃんを探す村の大人たち、オソノさん、とか)
これはある意味では我々観客側にとってしてみたら、これは現実と似ている世界なのだ、我々にもわかる世界だ、という入り口の役割をしていくれているわけです。
おそらくストーリーを作る上でのテクニックのひとつなんでしょう。
(俺はこれはとてもとても大事なことだと思います。気持ち良く映画を見るためには)

『ポニョ』の特異な点は、『これはもう全て子供が作ったのではないか?』と思わせるストーリーな点です。
全てが主人公の5歳の男の子(宗介)とポニョの目線で描かれ、全てがそれに沿って動くストーリー。
作品に登場する大人(宗介のお母さん、お父さん、町の大人たち)は大人の役割を全くしていません。
ポニョが宗介に会うために起こした津波で街が沈んでいるのをを平然と受け止め、宗介とポニョが子供2人だけでおもちゃの船に乗ってお母さんを探しに行くのを止めもしないでただ「がんばれよ!」と応援します。
では、大人がその場面で、「子供2人で行くなんて危ないからやめなさい、水が引くまでいっしょにいましょう」と言えばどうなるでしょう。
これは宗介とポニョの(思い描く)ストーリーではありえません。
それはかえって邪魔なことなのです。
だからこの作品ではどの大人もそんなことはしません。
おそらく徹底的にそういった「大人の介入」を排除した作品にしたかったのでしょう。
なぜなら、これは5歳の宗介と5歳のポニョの物語だから。
ちなみに宗介は自分のお母さんのことを『リサ』と名前で呼びます。
この大人は大人じゃない、といった表現のひとつといった気がします。
そういった細かい仕掛けが作品中の随所に見られました。

唯一、大人の意見を持った登場人物は、この作品の中では悪役として登場します。
ポニョのお父さんであるフジモト。
「人間なんて海を汚すだけの生き物だ。だから滅ぼしてしまおう」と一番理屈が通ることを主張する役です(まぁ凄い主張なのは置いておいて)。
フジモトは魔法の力を蓄えてそういった計画を進めています。
そしてポニョはおそらく(ここらへんは作中でまったく説明がないので完璧に俺の想像)人間なきあとに生き残るべき新種の動物としてフジモトが作った生き物です。
と、考えておきましょう。
しかし、5歳の宗介とポニョにとっての命題は、『ポニョは宗介が好き!』と『ポニョは僕が守ってあげる!』です。
そのことと、フジモトの理屈はまったく相容れないことです。
だから、ポニョはフジモトが『嫌い』だし、そんなことされても困るのでポニョは人間になり、フジモトの大事な魔法の貯蔵庫を完全に破壊します。
その魔法の貯蔵庫(DNAコントロールうんぬんかんぬんとか言っていたのでおそらくまぁそんな感じ)を破壊したときにポニョは劇的な進化を遂げ、“魔法の力を持ちすぎた存在”となり、世界のバランスを崩してしまいます。
そのことで津波が起こり、古代の魚が復活し、宗介の街が水浸しになります。

さて、そのことと、『ポニョは宗介が好き!いっしょにいたい!』はどんな関係があるでしょう?
全く関係がないですね。
だから宗介とポニョは無視します。
というか、5歳児にはそんなこと関係あるわけがないのです。
宗介とポニョはいなくなったお母さんをいっしょに探しにいきます。
いっしょに仲良く探し、そして見つけます。
そのときにポニョのお母さん(観音様)と宗介はポニョをこのあとどうするかを話します。
「あなたは魚や半漁人だった女の子とずっといっしょにいれる?」→「ポニョはポニョだからずっといっしょにいたいよ!」→「これでポニョは完全な人間の女の子になりました。だから魔法はなくなりました。なので世界の均衡は保たれました」→ハッピーエンド


さて、おわかりでしょうか?
とにかくサイケデリックでノンモラルでどこまでも自由な感じが。
この作品に限っては、面白かった、面白くなかったという感想は間違っているとすら俺は思います。
この作品は最初から最後まで5歳の子供が作った作品として機能していて、そんなことは今までどこの誰もできるはずがなかったし、やろうと思ってもできなかったことなのです。
だから、これは『新しい体験』としての映画でなのではないでしょうか。
どこの誰でも5歳の男の子になれる映画として。
5歳の子供が思い描いたとおりに物語が進み、それを抜群の演出力でもって観客が作中の5歳児といっしょに体験ができる映画なのです。
こんなことが宮崎駿にはできる。
というか宮崎駿にしかできない。
全てを手に入れて全てを描ききった世界の天才が次に描いた『子供だけの世界』の物語。
とにかく、これは賛否両論あるべき作品だと思います。
スタンダートな映画では全くありません。
俺が見たのは、映画が終わって、満員の客が黙って席を立って、黙って映画館を出て行く風景でした。
たくさんいた子供もただ静かに出て行くだけでした。
だって、体験してしまったんですから。
とんでもない現実離れしたことを。

この映画ではっきりしたことは、もう宮崎駿は『トトロ』や『ラピュタ』や『ナウシカ』といった、わかりやすい手法はもう取らなくても良いということです。
方程式に則ってストーリーを組み上げるというか、そういった手法はもう必要ないんでしょう。
だって、これだけオリジナルで、これだけ自由にストーリーを作ってしまえるんですから。
俺の中では、この作品でようやく『となりのトトロ』や『魔女の宅急便』の次の体験ができたな、と思っています。
ああ!凄かった!と大声で言いたくなるような作品でした。
物凄い傑作、でも、もう俺たちを楽しませる気は全くない。
それを許せるか許せないかでしょう。
俺は許せました。
だって天才なんだもん、仕方がないじゃない。

そして、タイトルの『ポニョは、ポニョポニョしていたか?』の解答。
もう思いっきり、思う存分ポニョポニョしていました。
あぁ、もう1回見よう!
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  1. 2008/08/04(月) 22:04:26|
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Author:ザ・ブレーメン
2000年生まれの宅録3人組です。
ほとんどメンバー間で喧嘩もなく無事6年目に突入しました。
『ブレーメンの隠れ家』というHPでマイペースに活動しています。
この「若気のいたり」ではメンバー3人が日々のあんなことやそんなことを書いていきます。
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